デジタル技術を導入すれば、売上も顧客満足度も高まると考え、セルフレジやデジタルディスプレイの導入を検討している経営者の方も多いのではないでしょうか。
人手不足の対策として、あるいは顧客体験向上のため、店舗のDX(デジタルトランスフォーメーション)は今や避けて通れない流れです。
しかし、その便利さが、売上の減少につながってしまうこともあります。
実はアパレルの店舗にデジタルスクリーンを導入したことで、顧客の使う金額と購入点数が減ったという実験結果があります。
アパレル店舗のデジタルスクリーンの実験
この衝撃的な実験を行ったのは、アールト大学のアナスタシア・ナンニ博士らの研究チームです。
この研究では、あるアパレル企業の店舗で実際に導入されているデジタルスクリーンに着目しています。
このスクリーンは、顧客が試したい商品が店頭にない場合などに、従業員がバックヤードから在庫を持ってきて、その準備が整ったことを、リアルタイムで顧客に知らせるために設置されたものでした。
受付番号が店内各所のスクリーンに表示されることで、顧客はサービスカウンターの近くで待機する必要がなくなり、店内を自由に回遊しながら試したい商品の到着を待つことができます。
店舗側としては、待機時間に顧客が店内を自由に見て回ることで、他の商品にも興味を持って買ってくれるという効果が期待できます。
デジタルスクリーンが稼働していると売上が落ちる
研究者たちはこのスクリーンの「有無」によって顧客の購買行動がどう変化するかを調べるため、同一店舗内で異なる時間帯にデジタルスクリーンのオン・オフを切り替え、その間の顧客の支出額や購入点数を比較しました。
これらのデータを分析したところ、デジタルスクリーンを稼働させていた時間帯のほうが、顧客の購入金額と購入点数が減少することが分かりました。
店内を自由に動き回ってもらうことで、他の商品も買ってくれるだろう、という店側の期待は外れたということです。
DXによってエクストラロール行動が減り、売上も減る
なぜDX化によって売上と購入点数が減ってしまうのでしょうか?
それは従業員の「エクストラロール行動」が減ってしまったからです。
エクストラロール行動とは、規定の職務範囲(マニュアルや契約などで定められた業務)を超えて、自発的に行う親切な行動やサービスのことです。
たとえば、顧客に似合いそうな商品を提案したり、待っている間に話しかけて気持ちよく過ごせるようにしたりすることです。
今回の実験では、店舗で働く従業員が、どれくらいエクストラロール行動をしているかを、顧客へのインタビューと行動観察によって調べています。
その結果、デジタルスクリーンが稼働しているときは、エクストラロール行動が有意に減少していることが分かりました。
デジタルスクリーンがあると従業員は声掛けの意欲が減る
店舗で働く従業員に対する聞き取りでも、デジタルスクリーンがあるときほど、顧客への声掛けをするモチベーションが低下する傾向が出ています。
顧客がスクリーンの情報を見て自分で判断している様子を見ると、従業員は「自分が口を出す必要はない」と感じやすくなってしまうからです。
またデジタル技術が一部の仕事を代替していることで、自分の役割が限定的になったように感じることもあります。
その結果、「余計なことをしない方がいい」「声をかけても迷惑かもしれない」と考えて、自然と提案を控えるようになるのです。
このようにして、テクノロジーの導入が従業員の主体性や積極性を間接的に奪っていく構造が生まれ、それが結果として売上減少につながるのです。
小売のDXを成功させるための戦略
今回の実証実験から分かることは、DXによって売上を減少させないためには、便利さや効率を追求するだけでなく、それによって変化する「顧客と従業員の関係性」をあらかじめ考慮することが重要だということです。
特に、従業員の「エクストラロール行動(積極的で柔軟な対応)」をテクノロジーによって阻害しない工夫が重要です。
そのためにはどうすれば良いのでしょうか?
1.テクノロジーと人間の役割分担を明確にする
まず必要なのは、テクノロジーと人間の役割分担を明確にすることです。
自動化された情報表示やセルフサービスが導入されたとしても、それはあくまで基本的な業務や情報提供の補助であり、「顧客への提案」や「関係構築」は引き続き従業員の重要な役割であると明確に伝える必要があります。
そのためには、導入時に従業員向けの研修を行い、「新しいシステムのもとでも、あなたの接客は不可欠である」というメッセージを強調しなければなりません。
2.無人化ではなく、支援型のデジタル化として設計する
テクノロジーを「顧客との接点を拡張するツール」として活用する視点も大切です。
たとえば、スクリーンに表示される注文番号だけでなく、「おすすめ商品」や「コーディネート例」などをパーソナライズして表示することで、従業員が声をかけやすくなるきっかけを生み出すことができます。
このように、無人化ではなく、支援型のデジタル化として設計することがポイントです。
3.エクストラロール行動を自然にできる仕組みづくり
従業員がエクストラロール行動を自然に行える仕組みづくりも重要です。
顧客の注文状況や過去の購入履歴を共有できる端末を従業員が持つことで、適切なタイミングで声をかけやすくなります。
また、従業員の柔軟な対応を評価する制度やフィードバックループ(※1)を整備することで、テクノロジーに埋もれず、むしろその補完として人が機能する文化を育むことができます。
※1 【フィードバックループ】ある行動に対して反応や評価が返ってきて、それが次の行動に影響を与える仕組み。たとえば、従業員がある接客をしたあとに、顧客が「ありがとう」と笑顔で応えてくれたり、上司から「今の対応よかったね」と声をかけられたりすること。こうしたフィードバックがあると、従業員は「またやってみよう」と思いやすくなる。
DXの流れの中でこそ人間が生み出せる価値を見つめ直す
今回の検証から見えてきたのは、テクノロジーの導入が競争力を高めるどころか、むしろ差別化要素を失わせてしまう危険性があるという事実です。
特に、接客や提案といった「人ならではの価値」が購買体験の中核となっている業態においては、機械化によって他店と似たような体験になってしまい、ブランドらしさや店舗特有の魅力が薄れてしまうこともあります。
デジタル技術は決して悪者ではありません。しかし、それが何を代替するのか、何を補完すべきなのか、を見誤ると、企業は知らず知らずのうちに自らの強みを削ぎ落とすことになります。
小売業のDXに求められるのは、技術による利便性と、人による差異化のバランスを戦略的に設計する力です。
テクノロジーに頼りすぎず、人間の価値をどう活かすかがあらためて問われています。
参考文献:Nanni, A., Ordanini, A. (2025). Unintended consequences of in-store technology for frontline employees: An empirics-first approach.