アイデアは斬新、チームは優秀、プロダクトにも自信がある。
それでも、競争の激しい市場の中で、スタートアップが成果を出し続けるのは簡単ではありません。
特に創業初期は、情報も資金も限られています。
判断ミスが命取りになりかねず、「もっと早く市場ニーズに気づけていれば」「競合の動きを読めていれば」という後悔がよく聞かれます。
「良い商品」を出すだけでは生き残れない時代になっています。
では、どのような力が今のスタートアップに求められているのでしょうか。
その答えのひとつが、「ダイナミックマーケティング」の能力です。
ダイナミックマーケティングとは
ダイナミックマーケティングとは、変化の激しい市場環境において、顧客ニーズや競合状況の変化を迅速に捉え、それに応じてマーケティング戦略や施策を柔軟に再構築していくアプローチです。
従来の「マーケティングミックス」や「4P(製品・価格・流通・プロモーション)」のように、あらかじめ決められた戦略を粛々と実行するのではなく、状況に応じて学び、判断し、行動を修正することを前提としています。
この概念では、単に広告を打つ・キャンペーンを行うといった実務にとどまらず、組織全体での情報収集、知識の共有、意思決定のスピード、検証と学習のプロセスまでを含めて、マーケティング活動と捉えます。
たとえば、顧客からのフィードバックや市場の兆候をもとに商品コンセプトを修正したり、新しい流通チャネルを素早く試したりするような柔軟性こそが、ダイナミックマーケティングの本質です。
今日のように変化のサイクルが速く、顧客の価値観も多様化している時代には、計画通りに動く力よりも、変化に応じて動きを変える力の方が重要になります。
そうした時代に対応するマーケティングの在り方として、ダイナミックマーケティングは注目されています。
ダイナミックマーケティングとスタートアップの成長の関係
300人以上の起業家を対象に、ダイナミックマーケティングが、スタートアップの成長にどう影響しているかを調べたアンマンアラブ大学のハムザ・クライム教授の調査があります。
調査では、ダイナミックマーケティングの能力を、大きく2つの柱に分けて評価しています。
1つ目は吸収能力です。これは、社外から新しい情報や知識を取り入れ、それを自社の活動にどう活かせるかを示す指標です。さらにこの吸収能力は、以下の2つに分類されます。
- 潜在吸収能力:市場や顧客、競合から得られる情報をいかに効果的に集め、理解できるか。
- 顕在吸収能力:得られた情報を実際の意思決定や事業活動にどう応用できているか。
2つ目は知識管理能力です。これは、組織の中で情報をどれだけうまく扱えているかを表します。具体的には以下の3つの視点で測定されました。
- 知識の取得:必要な情報を社内に取り込む力。
- 知識の共有:組織内で情報をメンバーと効率的に共有する力。
- 知識への応答性:得られた知識に対して柔軟かつ素早く行動を起こす力。
起業家たちは、それぞれの項目に対して「まったく当てはまらない」から「非常に当てはまる」までの5段階で回答しました。
また、スタートアップの「業績」は、数値で評価しやすいハード指標(売上、利益、成長率など)に加え、組織文化やチームの成熟度といったソフト指標(自信の向上、意思決定の質、ビジネススキルの向上など)も組み合わせて測定されています。
分析の結果、上記の5つ全てのダイナミックマーケティングの能力が、スタートアップの業績に対して、非常に強い正の影響を与えていることが明らかになりました。
特に「知識の取得」と「知識への応答性」は、業績との関連が特に強く、スピーディーな学習と行動がスタートアップの成功に直結していることを示しています。
なあ、これらの能力は資金の多寡よりも大きな影響力を持つことも分かりました。
変化に適応できる学習体質の企業が成功する
この結果からわかるのは、成功するスタートアップとは、「優れたアイデアを持つ企業」ではなく、「変化に適応できる学習体質の企業」であるということです。
特に、マーケティングにおける学習力と実行力が鍵となります。
多くのスタートアップは、「最初のアイデア」で勝負を決めようとしがちです。
しかし現実には、市場の反応を受けて軌道修正を繰り返すことで、ようやく製品やビジネスモデルが完成していきます。
いわば、成功とは「見つけるもの」ではなく、「築いていくもの」なのです。
調査では、外部からの情報取得だけでなく、それを社内でいかに共有し、すばやく応答できるかが、成長の決定因子になっていることも明らかになりました。
つまり、「知った」だけでは足りず、「動く」ことが求められているのです。
また、知識管理も重要です。リーダー1人が情報を持っているだけでは意味がなく、チーム全体で知識を循環させ、意思決定に活かす必要があります。
こうした文化を根づかせることが、スタートアップの持続的成長に繋がるのです。
スタートアップが取り組むべきダイナミックマーケティング
環境の変化を察知し、柔軟に対応していく組織の力こそが、継続的な成果を生み出す鍵となります。
では、そうした柔軟性や適応力を高めるために、具体的にどのような戦略が必要なのでしょうか。
ここでは、変化の激しい現代において、スタートアップが取り組むべき重要な視点と行動について説明します。
1.顧客や競合の変化を捉える「感度」を高める
市場環境は日々変化しています。昨日まで反応が良かったプロモーションが、今日はもう通用しないこともあります。
そうした中で必要なのは、単なる直感ではなく、データや観察にもとづく「変化への感度」です。
SNS上の声、顧客からの問い合わせ内容、競合他社の動き、売上の微細な変化など、見落としがちなシグナルを丁寧に拾い上げる姿勢が問われます。
そして、こうした外部の情報を「知った」で終わらせず、自社の仮説と照らし合わせ、必要に応じて戦略や方針を見直すことが大切です。
2.社内の知識共有を仕組み化する
情報は個人の中に留めていては意味がありません。特にスタートアップのように変化の激しい組織では、スピードと柔軟性が求められます。
あるメンバーが得た顧客のフィードバックや競合情報が、チーム内ですぐに共有され、意思決定に活かされる環境が理想です。
そのためには、情報共有を「善意」に頼るのではなく、仕組みとして定着させる必要があります。
たとえば、定例ミーティングでのインサイト報告、ドキュメントベースでのナレッジ蓄積、Slackなどでの情報スレッド管理などが効果的です。
誰もが「情報を拾い、渡し、活かせる」文化を育てていくことが、強い組織づくりにつながります。
3.知ったことに即座に反応できるチーム体制を整える
どれだけ有益な情報を持っていても、それが実行に結びつかなければ意味がありません。
大切なのは、「知ったらすぐに動ける状態」を日常的に整えておくことです。
具体的には、小さな仮説をすぐにテストできる検証プロセスを準備しておく、意思決定のボトルネックを解消する、実験の結果を素早く分析して次の打ち手に反映する、といった動きが挙げられます。
スピード感を持って試し、失敗しても次に活かす。その繰り返しが、柔軟でしなやかなマーケティング戦略を生み出します。
4.個人ではなく組織として「学び方」を持つ
スタートアップでは、創業者や一部のメンバーが突出した能力を持っているケースも多く見られます。
しかし、それだけでは持続的な成長は困難です。大切なのは、組織全体が「学び続ける構造」を持っていることです。
失敗から何を得るのか、成功の要因をどう再現するのか、チームでどのように振り返るのか。そうした学習の方法論が、組織に根づいている必要があります。
KPT(Keep・Problem・Try)の導入など、小さな仕組みの積み重ねが、強い学習体質のチームをつくっていきます。
5.マーケティングを「実行部門」ではなく「学習装置」として捉える
マーケティングというと、広告運用やSNS投稿などの手を動かす業務として捉えがちです。
しかし、これからの時代に求められるのは、マーケティングを「市場とつながる学習装置」として再定義することです。
顧客の行動や声、反応を通じて、自社が持つ前提や仮説を問い直し、新たなチャンスや脅威を素早く発見する。そうした循環を回すことで、単なる販促手段ではなく、事業成長の原動力としての役割を果たすことができます。
変化の激しい時代こそダイナミックマーケティングが活きる
マーケティングという言葉から、つい広告や販促、デザインといった目に見える活動を想像してしまいがちですが、本質はもっと深いところにあります。
変化を察知し、情報を吸収し、仲間と共有し、すばやく戦略に転換する。この流れこそが、ダイナミックマーケティングの中核です。
この力を磨き、組織の文化として根づかせることができれば、スタートアップはただの「面白いアイデアを持つ存在」から「変化を味方につける企業」へと進化することができます。
特に近年は、生成AIの異常なスピードでの進化や、リモートワーク、脱炭素など、想定外の変化が次々に訪れています。
そんな時代だからこそ、ダイナミックマーケティングの能力を磨くことで、チャンスをものにすることができるのです。
参考文献:Hamza Salim Khraim (2024). The impact of dynamic marketing capabilities on startup performance: A case of business incubators in Jordan. Innovative Marketing , 20(1), 132-145.