環境・社会・ガバナンスに関する企業の取り組み、いわゆる「ESG活動」は、企業ブランディングやIRの文脈ではすっかり定着しました。
上場企業を中心に、サステナビリティレポートや統合報告書を通じて、ESG情報を積極的に開示する動きが加速しています。
投資家との対話や、中長期的な企業価値の向上を目的としたESG情報の開示は、経営企画部門にとっては重要な戦略の一部となっています。
しかし、マーケティングの視点から見たとき、「ESG情報の開示」が本当にエンドユーザーである消費者の心を動かし、実際の購買行動につながっているのかについては、疑問が残るのではないでしょうか。
「社会貢献や環境配慮に取り組んでいるのに、商品が選ばれている実感がない」「せっかく丁寧につくったESGレポートを、ほとんど誰も見ていないのではないか」。そのようなもどかしさを感じているマーケティング担当者も多いかもしれません。
一方で、消費者の意識の変化を背景に、「ESGに積極的な企業の商品を選びたい」と考える層が一定数存在することも事実です。
となると、課題はESGへの取り組みそのものではなく、その情報が消費者に届いていない、あるいはうまく伝わっていないという点にあるのかもしれません。
では、企業が開示しているESG情報は、消費者の購買行動にどれほどの影響を与えているのでしょうか。
もし影響があるとしたら、どのような情報が有効で、どのような伝え方が効果的なのでしょうか。
ESG情報の開示が消費者に与える影響の調査
企業が開示しているESG情報や財務情報が、消費者の購買行動にどのような影響を与えるかを明らかにした、ニューヨーク大学のシンジャ・レオネッリ准教授らの調査があります。
調査対象となったのは、マーケティングリサーチ会社「Numerator」のテストパネルに登録している24,675世帯です。
これらの家庭は「日常の買い物情報」をアプリ経由で登録しており、実際の購買履歴が細かく取得できるのが特徴です。
実験は大きく分けて3つのステップで行われました。
1.買い物の際に何を重視するか?
まず最初に、研究者たちは参加者に「商品を選ぶときに重視するポイント」を尋ねました。
その結果、多くの消費者が「価格」や「品質」を最も重視していると答えました。
一方で、企業のESG活動や財務状況は、あまり重視されていないこともわかりました。
2.ESG情報は購買意欲を高める効果があるのか?
次に参加者は、実際に販売されている様々な商品を見せられました。
それぞれの商品には、企業名、価格などの基本情報に加えて、ランダムに以下の情報が表示されることがありました。
- 環境対策(E)(例:再生可能資材の使用)
- 社会的貢献(S)(例:地域への寄付や職場の福利厚生)
- ガバナンス(G)(例:取締役会の構成)
- ESG報告書へのURLリンク
- 財務報告書へのURLリンク
- 利益情報(アナリスト予想との比較)
- 商品レビュー(顧客の評価)
それぞれの商品情報を見たあとに、参加者は「今後6ヶ月以内にこの商品を買いたいと思うか」を1~7段階で評価しました。
その結果、社会的貢献(S)や環境対策(E)に関する情報を提示すると、消費者の購買意欲が高まることがわかりました。
とくに「労働環境の改善」などの社会的な面でのポジティブな情報は、購買意欲を平均で0.09ポイント(7段階評価で)押し上げました。
これは、商品レビューを見せたときの効果と同じかそれ以上でした。
一方で、企業の財務状況(たとえば「利益が予想より良かった」といった情報)や財務報告書へのリンクには、消費者はほとんど反応しませんでした。
リンクを提示しても、ほとんどの人が開かず、購買意欲にも変化がありませんでした。
逆に、自分からESG報告書のリンクにアクセスした少数の消費者については、購買意欲が大きく高まったことも確認されました。
このような人たちは、ESGに強い関心を持っていたり、株式投資の経験があるなど、情報に敏感な特徴を持っていると考えられます。
3.ESG情報は売上増につながるのか?
調査後1ヶ月間、実際にその商品が購入されたかどうかも追跡されました。
その結果、ESG報告書を見た人や、社会的な活動についてポジティブな情報を受け取った人の中には、実際にその商品を購入した人がいることが分かりました。
ただし、それは極わずかの人にしか該当しませんでした。
しかも、その効果は長続きするものではなく、調査後の1~2週間程度しか持続しませんでした。3週目以降にはその効果は消えていたのです。
ESG情報の開示の効果が小さく短い理由
なぜ、ESG情報の効果は、「小さく」「短い」のでしょうか?
実験参加者への聞き取りから、次のような理由が見えてきました。
1.情報が記憶に残っていない
調査後のフォローアップでの聞き取りによると、ESG情報を提示された消費者の44%が「内容を覚えていない」と回答しています。
たとえ一時的に興味を持ったとしても、その情報が日々の生活の中で埋もれてしまい、買い物の場面で思い出されないため、購買行動につながらないのです。
2.商品選択の際に「時間がない」
26%の回答者は、「商品選びのときに企業の情報まで考えている余裕がない」と述べました。
日々の買い物、特に食料品や日用品のような消費財では、「価格」「品質」「慣れ」といった直感的な要素が優先されがちなため、ESG情報は後回しにされがちなのです。
また、ESG情報が店頭やECサイトに明示されていないことも要因といえます。
3.企業と商品が結びついていない
「どの企業がどの商品を作っているのか分からない」と答えた人が21%いました。
これは非常に重要なポイントです。
たとえば「花王がこの製品を作っている」「これはネスレの商品だ」とすぐに認識できないと、企業のESGイメージと商品選択がリンクしません。
ブランド名と企業名が一致しにくい構造も、効果を限定的にしている原因のひとつです。
4.購入の制約(価格・必要性)
21%の人は、「ESG活動に共感しても、紹介された商品は自分にとって高すぎたり不要だった」と回答しています。
つまり、ESG情報に好意的な反応を示したとしても、「すぐに買う理由がない」商品であれば、実際の購買にはつながらないということです。
5.ESGそのものに無関心
一部の消費者は、「そもそもESG活動や企業の社会的責任には関心がない」あるいは「どうせ建前だろう」と懐疑的な見方をしていることも分かりました。
そのような人々にはESG情報を提示しても、行動変容は起こりにくいといえます。
ESG開示は広報ではなく戦略になる
今回の調査は、ESG情報の開示が消費者の心に響く「可能性」はあるものの、それほど効果が大きくないことが分かりました。
そんな中、注目すべきは「ESG情報を自分から見に行った人たち」の行動です。
この層は、企業の取り組みに対して強く反応し、購買意欲が高まり、実際の購入もしました。
つまり、関心のある人にしっかり届けば、ESGは確かに「効く」のです。
さらに、研究ではESGの中でも「社会的活動(S)」が最も強く効果を持っていたことも分かっています。
環境対策や経営の透明性よりも、「誰がどんなふうに働いているのか」「地域社会とどう関わっているのか」といったストーリーの方が、消費者の心に届きやすいのです。
マーケティングの場面では、ESGの内容をただ報告書にまとめるだけでなく、それを「誰にどう伝えるか」を設計する力が問われます。
たとえば、店頭POPやSNS、ECサイトの商品説明欄など、日常の購買行動に近い場面にESG情報を組み込む工夫が必要となります。
また、現状ではESGに関心を持っている消費者が少ないとしても、今後の世の中の流れを考えれば、関心を持つ人が増えるのは明確ですから、今のうちから正しい戦略を実行しておくことが、持続的成長につながるといえます。
参考文献:Sinja Leonelli, Maximilian Muhn, et al. (2024). How Do Consumers Use ESG Disclosure? Evidence from a Randomized Field Experiment with Everyday Product Purchases.