多くのベンチャー企業が、ある時点で「そろそろマーケティング部門を作るべき」と考えます。
売上が伸び始め、プロダクトの方向性も固まり、次の成長のために組織化してマーケティングを行おうするのは自然な流れです。
投資家から「CMOを採用したほうがいい」「ブランディングのプロを入れるべきだ」と助言されることも多いでしょう。
しかし、ここに大きな落とし穴があります。
「マーケティングを強化すること」と「マーケティング部門を作ること」は、同じ意味ではありません。
むしろ創業初期のベンチャーにとっては、マーケティング部門が悪影響を及ぼすことさえあるのです。
ベンチャーにおけるマーケティングとは何か?
まず、ベンチャーにおける「マーケティング」とは何を指すのでしょうか?
広告、SNS運用、広報といった活動を思い浮かべるかもしれませんが、それらはマーケティングのごく一部にすぎません。
本来のマーケティングとは顧客を理解し、その理解をもとに価値を設計し提供する仕組みを作ることです。
創業初期のベンチャーでは、このプロセスの多くが経営者や少数メンバーによって行われます。
営業担当が顧客の声を拾い、開発チームが即座に仕様を変え、代表が価格を直感で決める。
一見バラバラに見えるこれらの動きこそ、実は「全員で行うマーケティング」なのです。
この段階では、スピードと柔軟性が生命線です。
市場の反応を見ながら方向を変え、仮説を立てて検証を繰り返す。
役割や部署の境界を設けず、社内のあらゆるメンバーが顧客との接点を持ち、意思決定に参加することが強みになります。
つまり、ベンチャーのマーケティングとは「特定の部署の仕事」ではなく、企業文化そのものとして存在すべきものなのです。
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よくある誤解:「マーケティングを強化する=部門をつくる」
ここで多くの経営者が陥る誤解があります。
「マーケティングをちゃんとやるためには、専任の部門を作らなければいけない」と考えてしまうのです。
しかし、それは大企業の発想をそのまま持ち込んだ危険な判断です。
マーケティング部門を設けると、たしかに専門性や責任の所在が明確になります。
しかし同時に、「マーケティングはあの部署の仕事」という認識が社内に広がります。
その瞬間、現場の社員は顧客の声に触れても「それはマーケの仕事」と無意識に距離を取るようになります。
情報が分断され、顧客の声が社内で共有されにくくなるのです。
さらに、部門間の調整や承認のステップが増えることで、意思決定のスピードも低下します。
小さなベンチャーが持つ最大の強みである「すばやく動ける機動力」が、部門を置いたせいで失われてしまうのです。
200社以上のベンチャー企業を調査した結果
創業初期のベンチャー企業がマーケティング部門を置くことで、収益が低下することは調査からも判明しています。
フリードリヒ・アレクサンダー大学のアンドレアス・フュルスト教授らが200社以上のベンチャーを対象に行ったものです。
この調査ではマーケティング活動をどのように行っているかと収益について分析しています。
その結果、マーケティングを特定の部門や職位に集中させている企業ほど、利益率が低いことが分かりました。
一方で、マーケティング活動が社内に広く分散している企業ほど、高い利益を上げていることが明らかになりました。
研究者たちは、これをマーケティングの「分散(dispersion)」と「構造化(structuration)」という2つの概念で説明しています。
つまり、マーケティングを多くの人が日常的に担う分散型は利益を押し上げ、専任部門として制度化する構造化型は利益を押し下げる傾向があるということです。
理由は先ほどまで説明した通りです。
メンバー全員がマーケティングに関わっていれば機動力が発揮されますが、担当を決めてしまうと他のメンバーの当事者意識と判断の正確性、意思決定のスピードが落ちてしまい収益も低下するのです。
成功するベンチャーのマーケティング組織
では、ベンチャー企業はどのようにマーケティングを設計していけば良いのでしょうか?
重要なことは成長段階ごとに何が適切かを把握して組織化することです。
1. 初期フェーズ
創業直後のベンチャーでは、マーケティング思考を全員に持たせることが重要です。
顧客との最初の接点、初期ユーザーの声、SNSでの反応など、あらゆる情報が貴重な学びになります。
経営陣だけでなく、エンジニア・営業・サポートまでが自ら顧客と対話し、「いま何が喜ばれているのか」「どこに不満があるのか」を自分の目と耳で確かめます。
誰がマーケティングを担当するか明確にせず、「全員で市場を見る文化」を作るのです。
会議では「顧客の声」を全員が共有し、Slackなどの社内ツールでは顧客のつぶやきや改善提案をリアルタイムで流す仕組みを作りましょう。
マーケティング担当を決めるよりも、「顧客理解を共有するルール」を整えることの方が先決です。
2. 成長フェーズ
社員数が増え始めると、情報共有が難しくなります。「誰が何を知っているのか」が不明確になっていきます。
この段階でやりがちなのが、混乱を避けようとしてとりあえず部門を作ってしまうことです。
しかし、そこで形式的な組織化に走ると、顧客情報が分断され、再び利益率を押し下げてしまいます。
このフェーズで最優先すべきは、「マーケティングを体系化すること」よりも、「情報共有と学習の仕組みを制度化する」ことです。
たとえば以下のような取り組みが効果的です。
- 週次の顧客レビュー会議を全社で行い、成功事例・失敗事例をオープンに共有する
- 顧客インサイトを共有するチャネルをSlackなどで常設し、部署を越えてコメントを促す
- 顧客理解を軸にした評価指標(例:NPSや継続率)を導入し、全員の行動を同じ方向にそろえる
こうした仕組みがあることで、「全員がマーケティングに関与する」状態を維持できます。
3. 拡大フェーズ
社員数が増え、複数のプロダクトラインを抱えるようになった時点でようやく「部門化」の意味が出てきます。
ここでは専門性を深め、リソースを効率的に配分するための構造化がプラスに働きます。
ただし、ここで注意すべきなのは、初期フェーズで育てた「分散文化」を完全に捨ててはいけないということです。
このフェーズでは、マーケティング部門を「情報の翻訳者」として設計するのが理想です。
つまり、現場から上がる顧客情報を整理し、経営や開発が判断しやすい形で再構成する役割です。
次のような実践例があります。
- プロダクトごとに連絡役を配置し、現場との橋渡しを担う
- データ分析の担当を置き、顧客データを一元管理し、全員が見られる状態にする
- 定期的に「マーケティング・オープンデー」を開催し、他部署が施策を学び意見を出せる場を作る
このように、専門性と開放性を両立する構造が重要となります。
マーケティングは文化である
ここまで説明したようにベンチャー企業においては、マーケティングを「部門」として制度化すると、機動力と学習速度が落ち、利益が減少するリスクがあります。
一方で、マーケティングを社内に広く分散させることで、顧客理解が全社員の行動指針となり、変化の早い市場でも迅速に適応できるようになります。
マーケティングは、組織図の中に描くものではなく、企業文化として根付かせるものです。
その文化が定着したとき、はじめて部門という形を取っても揺らがない強い企業が生まれるのです。
とはいえ、個人的には分散型のマーケティングを行っていく場合でも、マーケティングの担当者を明確にして全体の方向性を統一したほうが良いとは思います…。
参考文献:Furst, A., Gabrielsson, M., Gabrielsson, P. et al. The role of marketing in new ventures: How marketing activities should be organized in firms’ infancy. J. of the Acad. Mark. Sci. 51, 966–989 (2023).

